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        イタリア旅行    2006/12/29〜2007/1/7   

全行程ツアーというのに参加するのは今回で2度目
5組のカップルで10人の参加者。
コロッセオバラティーノの丘とサンピエトロ寺院を見学した。
塩野七生さんのローマ人の物語シリーズ
「ローマは一日にして成らず」は全部読み終わって
いたので実際に現地でローマを肌で感じながら、
古代ローマ帝国に思いを馳せられた。




   ベトナム3回目の訪問紀行  2003/12/〜2004/1

 「今年は何処で新年を?」 「ベトナム」と答えるとほとんどの人が 「どこがそんなにいいんですか?」 と、「う〜んどこかな」 でもなぜか3回目のベトナム旅行です。
今年はハノイ直行便が飛び、行きは6時間ちょっと、帰りは西風に乗って5時間足らずで帰れました。


ハノイの街


ベトナムには地震が無いため、とても狭い土地に3階建ての住居が多く、私たちの感覚では「え〜危なそう、鉄筋も入っていなそうだし」と感じてしまうのですが、街の中心部は大きなホテルやビルを除いて、ほとんどがこのての建物でした。



車の部品で一番大切な物は?クラクション

街がとにかく喧しい、その原因は車、オートバイ。
左ハンドル、高速道路も一応中央線や、分離帯があるのですが、対向車線に車が切れると、その間隙を縫って平然と対向車線に入り込んで追い越しをかけるのです。あわや正面衝突!! 首をすくめて緊張している私たちとは無関係に、タクシーの運ちゃんはすっ飛ばします。しかも、しかもですよ、15秒おきに大きなクラクションを遠慮会釈無しに鳴らしながら。
日本も過っては車が一番、其処退け其処退けと、クラクションで自転車や人を蹴散らしながら走っていました。そう、昭和30年代〜40年代でした。その頃、新もん好きの私もいち早く車を運転していました。得意げにクラクションを鳴らしながら、今考えると恥ずかしい限りですが。ベトナムも
もう少しすると、ブレーキが一番大切な部品になること
でしょう。


街の喧騒の中、悠然と花を生けている




食文化は、異文化?
宿泊しているハノイメリアホテルの横にマーケットがあります。そのマーケットの中を覗くと「え〜まさか・でも?」と何度か店先の前を行ったりきたり、売り子のおばさんに「あっちに行け!」と手で追い払われました。きっと私が恐々覗いたので不愉快だったのでしょう。「ごめんなさい」と頭を下げるとチョッと柔らかい表情になって、手招きしてくれましたので、すかさず満面の笑みを浮かべて、「写真OK」と聞いてみました。そう、その正体はやっぱり犬でした。
でも誤解しないでね。食肉用に飼育された犬で、ぺっトではないのですから。勇気の無い私は、やっぱり食すことが出来ませんでした。
ハロン湾 ・世界遺産はやっぱりスゴイ
ハノイから車で3時間。ハロン湾に到着。ハロン湾の桟橋は観光客で一杯。湾の中は30〜50人乗りの船が所狭しと浮かんでいます。グループごとに一艘ずつ運行します。夫と私、そして日本語ガイドのウエンさんの3人が
大きな船に乗りハロン湾に。


墨絵のように燻ぶった天気のなか、船はハロン湾を悠然と航海し、鍾乳洞へ。

ハノイ外語大学で日本語を学んでいる、ウエンさん。
ホテルから一日中同行してくれました。
船の中でのランチ。採りたてのこんな大きな蟹を
船の中で茹でてくれました。
一人3匹もあります。とうてい食べ切れません。

               ホテルアノアシスの中に咲いていた花々

全てコテージで、私たち家族は娘夫婦と4人
2ベットルームのあるファミリールーム。

白,ピンク、オレンジのブーゲンビリヤが咲き乱れ、部屋の前にはバナナや、赤ナツメ、などの木の実が。

部屋から出て、プールえお抜け、散歩道を行くと、オシャンビュー。南シナ海が一望。

心地よい潮風を受けながら、アロママッサージ。風の音、潮騒、野鳥の声をBGMに、うとうと。

夜は12月31日2004年のカウントダウンパーティ、しかし
私は残念ながらベットの中で白河夜船でした。



ベトナム・アンコールワット旅行記  2001/12〜2002/1
20世紀最大の愚業、過ちは、何と言ってもべトナム戦争でしょう。

私の青春は安保反対と平和運動に始まりました。「アメリカはベトナムから手を引け」と、大声で叫んだ学生時代。

戦後25年経った今、ベトナムはどう復興しているのか、この目でどうしても確かめたくてそうしなければ21世紀に入れない、そんな気持で出かけてきました。

人、人、人の波
ホーチミンのタンソンニャット空港に到着し、ロビーを出たとたんに凄い熱気に包まれました。

人、人、人の波。そして30度を越す蒸し暑さ。こんなにも出迎えの人が多いのかとびっくり。でも良く見ると、出迎える用事の無い人も沢山集まっているんです。ガイドさんに聞くと、家に居ても暑いのでバイクを乗りまわして、遊んでいるとか。そうか、それだけ遊ぶところも無いんだ。人が集まる空港の出口は、いろんな国の人が見れるので娯楽の一つとして、出かけてきているんだ、と肯けました。

街に出て2度びっくり。バイクの多いこと多いこと。そのバイクが縦横無尽に走り回っているんです。中央分離帯なんて、有っても、無くても同じ。自由に相手車線に入り込んで追い越しをかけるは、信号が赤なのに突っ込んでくるはで、蟻の巣を突っついたような動きです。いったいどうやって道路を渡れば良いのか、一瞬ひるんで動けませんでした。夫と思わず手をしっかり握り合い、恐る恐るバイクの流れの途絶えた瞬間を見て、道路に出ました。お陰で今まで手など握ったことも無い夫婦が、この時から手を握りあって歩くようになりました。1/6 次回は2・3日後をお楽しみに。

反射神経は訓練される?プチパリを歩く
人間の順応性というのはたいしたもので、2日目あたりから、サイゴンの町を歩くコツのようなものを体得し始め、バイクが走り回る喧騒の中を、ソロリソロリと(これがコツ)かつ、スーイスイと渡れるようになったのです。これに気を良くしてホテルからタクシーでという行動を止めて、街を歩き出しました。

プチパリと呼ばれていることが肯ける建物が結構沢山あります。その筆頭が、郵便局。ヨーロッパの駅を思わせるような建物。内部に入るとドーム型の高い天井、正面奥にホー・チミンの肖像が掲げられています。両脇には沢山の窓口が並んでいて、ここではゆったりした感じで手紙を書く姿が似合います。その他19世紀に40年もの歳月をかけて建設した、聖母マリア教会、サイゴンに行かれる人は是非のぞいて下さい。

サイゴン最大のツアー会社 SinhCafe
自信のついた2人は、ドア-ツードアーの行動を止めて、ホテルが斡旋しているツアーに乗らず、Sinhcafeに行き直接申しこみました。ホテルでのツアー料金は48ドルsinhcafeの料金はなんと7ドル。この差はいったいなんでしょう?しかもですよ、日本人の美人ツアーガイド付き、昼食付き、チョッピリガタがきたおんぼろバスさえ我慢すれば、全く問題無し。皆さんはどっちを選びますか?勿論sinhcafeでしょ?

しかも、もっと気に入ったことに、このガイドさんが又凄い。ベトナムの歴史をしっかり勉強していて、しかもべトナムが大好きと言う人。年の頃は30歳前後、スリムで美人。言うこと無しに見えましたが、口が悪いこと、悪いこと。本当のことをズバズバと口にする。これが又面白い。「sinhcafeのツアーに参加する人はみんな貧乏人、バスはオンボロ、昼食は不味いと巷の評判、但し他に負けない自信が有る物は、料金が安いことと、ガイドがピカイチ」「若い女の子が、ベトナムの雑貨がかわいいと、大挙して押しかけてくるけど、歴史をしっかり勉強してくる子はいない。ベトナムは仏教の国なので、女性が肌をあらわに出し、真っ赤に口紅をつけ、たばこをふかすなんて商売女しかしていません。日本の女性は商売女かと間違われます」などと、若い女の子がいても平然と言ってのけます。私は思わず大きな拍手。

と言う訳で、ベトナム戦争の歴史、現在のべトマムの抱えている問題や現象など、彼女の感じたままを率直に語ってくれましたので、私には大満足のツアーとなりました。この知的なガイドさんの名前がお知りになりたい方は、HPの掲示板にお書き下さい。

カフェオレ色のメコン川
ホーチミンから、がたがた道を、おんぼろバスに揺られること約2時間。メコン川の船つき場があるミトーという所に到着。今日はおしまい。

カフェオレ状態の川面を、昔ながらの手こぎの船がゆったりと行き来しています。川幅の広いところは、エンジンのついた大きな船で下り、支流の細くなったところに行くと、手こぎの小船に乗り換えて、ジュングルの中に入り込みます。鰐はベトコンが退治したので生息していないそうですが、今にも、その辺から顔がでてくるんじゃないかとビクビクものです。

支流を下ること10分、小さな村につきました。そこでは、村人がココナッツのあめを、手作業で包装していました。1つ1つまるで機械で包んだように。これで1ドルとは申し訳無い。頬張るとココナッツのなんとも言えない香と味。重たくなければ10個包みくらい買いたかったのに。
この村でガイドさん曰く、「あの超不味い昼食」です。メコン川で捕れた魚を1匹丸ごとカラ揚げにした 「像の耳」というメニューを特別注文。お味は、まあ、話の種と言ったところでしょうか。

世界最強のアメリカ兵を撃退したのは・・・??
世界最強のアメリカ兵を撃退したのは、小さな穴??
クチトンネルの穴は、日本人の平均的スタイルの男性がやっと出入り出来る大きさ。ガイドさんに入って見ませんか?と進められて、自分のお尻を思わず両手で確認してしまった私。もし入れなかったら、万一入っても、出られなかったらと、躊躇 。これだ、米兵が恐怖を感じたのは。

かろうじて穴に滑り込んだのは良いが、天井が低く中腰で歩くんです。閉所恐怖症の私は5メートルも行かないうちに、横穴から私はエスケープ。生真面目な夫殿は最後まで頑張って、出てきた姿は腰が曲がっていました。トンネルの長さは、全部合わせると、600キロメートル そう東京〜名古屋間に匹敵、しかもこの穴、メコン川に通じているんです。米兵が穴の近くに爆弾を落としても、トンネルを抜けてベトコン兵はメコン川の中。カフェオレ状態の水、しかも葦をくわえて息をしているので何時間でも潜っていられる。米兵は、まるで魔法づかいと戦っているようで、みんなノイローゼ状態になったとか。恐怖心から逃れるために、麻薬、酒にはしり軍規が乱れて負け戦となったとさ。

それにしてもベトナム人の粘りづよさ、創意工夫する頭の良さ他国からの長い占領の歴史を、自分達の手でしっかり塗り替えようと戦った愛国心に脱帽。
今は貧しい、若い国。でもきっと目覚しい発展を遂げることを確信できるエネルギッシュな何かがあります。
これでベトナム・カンボジアの報告はおしまい。

CU CHI TUNNEI
(ベトコン兵)

アンコールワット

世界遺産は、チベットのボタラ宮など、いろいろ見て廻りましたがこの、アンコールワットの西参道に立った時、目の前に広がった壮厳な美しさと、大きさに、息を呑みました。12世紀前半に、スーリヤブァルマン2世によって、30年余りの年月をかけて建造したクメール建築の傑作だと言うことも肯けます。建物の前に池が有り、その川面に映る逆さのアンコールワットも幻想的。

 
アンコールワットの画像 

バンテアイスレイ(女の岩)
建物の中は床から天井までレリーフが彫られています。その一つ一つが物語りになっていて、何時間見ていても見飽きることがありません。

いたるところに美しい装いの女神(デブァター)が彫られています。その豊満な体に触りたくなるのでしょう、1番美しい場所が人の手で磨かれ、ピカピカでした。