乙女の殿堂フランス日記

2002年5月28日

午後5時半にシャルル・ドゴール空港着。パリったら13度。さむ〜。タクシーでホテル。運転手さんはチャイニーズだった。道沿いの看板はフランス語。ときどき英語。でも平気。だって牛が町中を歩いてたりしないもん。それよりさ、飛行機ね、ベルリンへ行くメロディアスさんやオナンさんやら2丁目界隈の皆様と一緒だったのだ。4回ショーをするんだって。メロディアスさん、またはアキラさんの目って、どうしてあんなにキレイなんだろう。本当にキラキラしてるから、どうしたらいいかわかんなくなる。この時期のヨーロッパの日暮れは10時頃。ホテル着いても完璧に明るかったけど、お散歩行かないで寝ちゃった。ホテルはね、オペラ駅の隣のマドレーヌ駅のそば。

2002年5月29日

昨日より、う〜んとあったかい。朝ご飯はルーム・サービスにしてみた。小さめのクロワッサン2。レーズンのデニッシュ1。チーズが3種類。フルーツ(バナナ・キウイ・プラム)。
 クロワッサンうめ〜よおお(泣)。

 ホテルの部屋。小さいけど、かわいかったよ。

で、意気込んでオランジュリー美術館に行ったの。モネの睡蓮を見に。地下鉄ちゃんと乗れたしさ。そしたら改装工事中。ガイドブックには2001年末まで工事って書いてあったのにい。ぜったい見たかったのにい。パリの第一目標だったのにい。く〜っ。仕方ないのでパリの第二目標のアニエスb へ。本店じゃなくて巨大デパートのギャラリー・ラフェイエットへ。結婚式で着るお洋服を買うのだ。薄バイオレット色の麻のワンピとジャケット購入。超シンプル。これで安心。それから初カフェして、キッシュなんか食べてみた。お飲物はもちろんカフェ・オ・レ。それからルーブル美術館を目指したのでした。観光客だし。初パリだし。展示見る前にまたカフェね。でもなぜかコカ・コーラ・ライト。パリのカフェには必ずコカ・コーラ・ライトがあって飲んでる人がすごく多いです。ルーブルは午後3時になると入場料が5ユーロになりますです。フェルメールを見たかったの。「レースを編む女」。
 ルーブル美術館とパリ空。

パリって物価が高い。ユーロになって高くなったって。1ユーロが120円ぐらいだった。お店や座る席によってちがうけどカフェ・オ・レが約400円〜500円ぐらいする(高くない?だって私ったらスタバが基準だから)。

2002年5月31日

今日の夕方の便で、イトコ(今回の花嫁)の家族や友達が到着するので、ホテルを移動して合流の予定。荷物を預けてお出かけ。朝ご飯はホテルのそばのカフェ・マドレーヌ。カフェ・オ・レはアーモンド・チョコレート付き。クロワッサンうめえなあああ。今日は暑い。で、観光客だし。初パリだし。
 こんな所に行ってみた。

ネスカフェのカフェがあって一休み。ギャルソンがいるカフェより、こ〜ゆ〜セルフ・サービス・カフェのほうが落ち着くのは、いつものクセでしょうねえ。シャンゼリゼ通りを歩いて暑くて疲れて、またカフェ。それから地下鉄に乗ってバスティーユへ。谷口・マルタ・正明に頼まれたCDを届けに日本のインディーズが、いっぱい置いてる「Binbo Tower」へ。マルタからもらった地図を見ながらプチ冒険。無事到着。なんかね、すご〜く小さいヴィレッジ・ウァンガードみたいだった。アニメ系のZIN(フランス語の)とかもあった。へんてこかわいい。イトコの結婚相手のジャンフランソワは、日本のアニメおたくでして。知ってたよ、Binbo Tower。でも私ったら、Binbo Towerの写真とるの忘れたのだ。その代わりじゃないけど、そのあたりにあった
 HIP HOPレコ屋。

 畳って描いてあるソファ・ベッド(不条理だよ、フランス人よ)を売ってる家具屋。

それから、またカフェしてホテルに戻ったら、すぐにみんな到着。花嫁の両親。花嫁の姉。花嫁の親友。2日前にパリに着いてた花嫁の叔父ファミリーも一緒にお茶。(テキサス在住。ワイフは台湾出身。小さな娘2人は英語だけ。でも、ジャンケンは日本語でするのだ。ジャンケンに40回ぐらいつきあってしまった)みんな疲れてて、すぐに寝たので、いっしょに寝た。花嫁姉と同室。久しぶりに会ったので、1時間ぐらいおしゃべりしちゃったけど。

2002年5月31日

 朝ご飯の時に、またジャンケンさせられそうになった。May I eat at first?と頼んでみた。それから、花嫁母・花嫁姉とお買い物。ブーケ用のお花とか、リボンとか。手芸屋さんで、くずれ落ちる。(お花屋さんのゲイっぽいお兄さんもかわいかったけど)。きゃあっ。パリって乙女の殿堂だわっ。うっとり。オーガンジーよっ。レースよっ。ギンガムよっ。意味もなく、せつなくなるのは何故?手芸屋さんの店員さんが、ふつ〜のオジサンふたり(それも地味めの)つ〜のも趣深く。
 りぼん〜。  りぼん〜。

 ばら〜。

それからプランタンでお買い物とかして戻ったら待ち合わせの場所に花嫁父が居なくて、あせって捜してたら、ひょこっと角から出てきた。カフェでコーヒー飲んで、ビール飲んで、オペラ座の中を見物してたって。「オペラ座はすごいぞ。あれこそパリだな。素晴らしい。」と。こっちは、あせって捜してたのにい。これが大勢で旅する醍醐味なのねっと、感慨にふける私。午後、オルリー空港へ行き、南仏のツーロンへ1時間ちょっとのフライト。ジャンフランソワはじめまして。ジャンフランソワの妹のクレアもはじめまして。ほっぺにチュっ。車に分乗して30分ぐらいでジャンフランソワ実家。ジャンフランソワのママにはじめまして。ほっぺにチュっ。
 花婿ジャンフランソワ実家。

それからまた15分ぐらい車に乗ってバンドールという海沿いのリゾートへ。
 メリー・ゴーランドがあった。ああっ乙女の殿堂。

港から3分ぐらい船に乗ってホテルのある島へ。
 こんなだもの。

 部屋からの景色。地中海ですのっ。きゃあ。

親戚一同で夕飯。メンバーは花嫁父・花嫁母・花嫁兄・花嫁叔父(兄)ファミリー・花嫁叔父(弟)夫婦。それと私。

2002年6月1日

さて、いよいよ結婚式当日。午前中は、花嫁叔父(兄)のチャイニーズ・ワイフのRIKOさんと対岸でお買い物。私が、いつもと同じ定番っぽい服を見てたら「こ〜ゆ〜のは東京でも買えるでしょ。もっとフレンチスタイルの服にしなさいよ。」とRIKOさんに(英語で)言われ、なるほどな〜(RIKOさんは何故かすご〜く発言に説得力があるのだ)と思って、いつもより女っぽ(?)な服を2つ購入。それからホテルに戻ってランチのあとでブーケにリボン付けるのを手伝ったり、花嫁がウエディング・ドレスを着るのを手伝ったり。4時過ぎに準備整って、ボート乗り場に集合。対岸の教会を一同で目指す。日本からも、お友達がけっこう来ててハッピー・ムード炸裂。それにしたって新郎サイドの皆様のドレス・アップの見事さよ。男性陣の着こなしが、さすがですね。Vゾーンってやつ?ポケットチーフとかもさ、正装なんだけど軽くって粋なのね。
 ときこ&ジャンフランソワ。ちっちゃいのは、michika&yumika。

 船に乗って対岸へ。花嫁・花婿&花嫁の父と母。

 歩いて教会へ。

 教会の中。

 花嫁と父、入場。このシーンで、涙うるっ。

 花嫁・花婿と花婿の父、パパフランソワ(仮名)と母。

 花嫁・花婿と花婿の祖父、ジジフランソワ(仮名)と奥さん。

 ホテルのロビーで待っていた楽隊さん。右端の楽器、なんていうんだっけ?

式が午後4時半。ホテルに戻って7時ぐらいからテラスで、アペリティフ。8時から12時過ぎまでディナー(4時間!以上!)。それからホテルのディスコに移動してダンス。深夜1時頃にウェディング・ケーキ。朝までパーティ(フランスでは、これが普通の結婚式のパーティの流れなんだって)。私は次の朝、パリに戻るので1時過ぎに自分の部屋に戻りました。でね、注目の的だった花嫁父のワルツを踊る姿(この日のために70才にしてダンス教室に通った。ちなみに曲は美しき青きドナウでした)なんだけど、私のオモチャ・デジカメでは、暗いディスコの照明と華麗なダンスの動きに対応出来ずに写真、失敗しちゃったです。残念。ワルツ後のダンス・タイム、フランス・サイドは老若男女、みんな踊る踊る。曲は80年代のヒット・ソング系で微妙な選曲でしたが。でも花嫁父も踊ってたよっ。楽しい結婚式だったなあ。ゆっくりという〜か、日本人の感覚から見れば、ある意味でダラダラなんだけどね。つまんない式辞とかないしさ(花嫁・花婿の友人代表のラブリーな祝辞だけ)、アペリティフからディナー終わるまでが超ゆったりだから、いっぱい話が出来るしさ。いいよね、やっぱ。ちなみにディナーは、オイスターのグラタン〜フォアグラ(それが、脳天を突き抜けるような超フォアグラで)〜オマール海老を煮込んであるの(シチューみたいだった?)〜ラム・チョップと野菜〜チーズの盛り合わせ(サラダとパンがいっしょに出てきた)〜デザートのケーキ(ケーキの上にカリカリに焼いたクレープがのっかってる)。いっこぐらい落としてるかもしれない。どれもボリュームあるのよね〜。半分食べるのやっとね〜。ケーキの頃はおなかいっぱいで、それが悔しいのね〜。

2002年6月2日

がんばって8時に起きて、花嫁母と姉と花婿両親に見送られて、ひとりでパリに戻る私。ありがと〜。キンキンの晴天で、タクシーの運転手さんは超陽気だった。空港でまたクロワッサンなど食し(さすがにここのは、あんまり美味しくなかった)空港の売店でお土産など買い込み、時間になったら飛行機に乗って、パリに戻って、タクシーで始めの2日間と同じホテルへ(もう慣れてきてるので、とりあえずスムーズ)。
 こんどの部屋は小さいツィンで黄色トーン。やっぱりかわいかった。

カフェオレとサンドイッチ食してからオペラ座見学。ひ〜ひゃ〜きゃ〜うぎゃ〜っ。すごいわ。客席内の天井のシャガール。周囲は1969年当時の装飾なのね。で、その中央に天使やら、おっぱいやら、一種、遊園地的な楽園のようなシャガール。そのミスマッチのようなマッチングがさ、柔らかいの。優雅なの。そして超色っぽいの。びっくり。うっとり。まいりました。それとね、そ〜ゆ〜メインの作品の周りには、名前を知られてない職人さん系の人が作った柱の彫刻とかがあるでしょ。気になるのだ。そ〜ゆ〜こともすごく。オペラ座建設にかかわったたくさんの無名の人のこととかも。考えてもわかんないけど。想像してみるの。部屋に帰ったらテレビでサッカー観戦。何言ってるか、わかんないけどアナウンサーのトーンのアップ・ダウンが楽しい。アルゼンチンvsナイジェリアとイングランドvsスエーデン。それにしても日曜日ってほんとにお店やってないよね、パリ。オペラ座周辺のカフェはやってたけど。(写真とるの飽きたので、最後の2日は、写真激減)

2002年6月3日

 実質的最終日。教会を3つ見学(マドレーヌ教会・セントポール教会・サンジェルマン教会)。それとピカソ美術館と、お買い物。(モノプリっていうお洒落なイトーヨーカ堂みたいなスーパーがいっぱいあって、お洋服も雑貨も食料品も売ってるん。下着がね、かわいい〜だけどお、ぶらじゃ〜のお、サイズが〜、ないいいいい。サイズ的には存在してるんだけど、ほとんどないいいいい。おし〜いんだよお。あと、ちょっとなんだよおおお(何が?)。教会はね、本当にステキだったなあ。古くて豪華なわけです。で、それを見ると、西洋文明が、本来のキリストの教え・言葉?(なんて言ったらいいかよくわかんないんだけど)を、歪曲したこととか、それを利用して権勢を奮ってきたことが、なんとなく、だけど、!ってわかる。キリスト像もマリア像も、アングロサクソン顔だしね。豪華な教会を建てなさいんなんて言ったわけないしさ。でもさ。やっぱり教会で椅子に座ってると、そこは聖なる場所なんだって。膝をついて真剣に祈ってる人がいて、凛とした空気なの。だから私も思わずお祈りしちゃいました。もともとカソリックの家の子だしね。
 ピカソの山羊。

ピカソってさ、他の人の作品に混ざって展示してあるのを見ると、インパクトすごいけど、ピカソしかないところで見ると、元気さとか、やんちゃさとか、毎日作品を、がんがん作ってたエネルギーとかそ〜ゆ〜ほうが伝わってくるね。これが好きとか、すごいとかじゃなくて。1日の予定を終えて、最後にホテルのそばでカフェしたんだけど、クリーム・ビュレが売り切れだった〜。あ〜ん。表面の固いとこをさ割って食べようと思ったのにいいい(by アメリ)。でも、かわりに食べたアプリコット・タルトが超おいしかったから許す。許した。荷造りのあとはテレビでサッカー。

2002年6月4日

帰る日。タクシーの運転手さん、かっくいいオジサン。空港の免税店で化粧品見てたら「すいません、シャネルの頬紅の13番で、どれなんでしょう?女の人の物はわからなくって」って日本人の男の人に話かけられた。その人の持ってたメモ見たら「ホーベニ、シャネル13番」とか書いてあって、そのうえ、13番が品切れだったもんだから、あ〜大変だな〜って。あとでエルメスでなんか買ってるとこも見かけたけど。

帰りの飛行機で隣の席だった日本語ペラペラのブロンドのマダムが素敵でうっとり。使いこんだヴィトンの大きいボストンを足元に置いて。成田に着く前の身支度の様子もさ、下ろしてた髪をさっとまとめて、ちょこっと顔を直して、白のサマーニットに黒のパンツスーツ。メニューを見るときには老眼鏡をかけるんだけど、それも素敵なのだ。「日本語お上手ですね」って言ったら「10代の頃から、何度もね行ったから」って。キュートな美人で。あとでふと、「ダニエル・ビダル?まさかね。」(この名前知ってる人、何人いるかなあ。)って一瞬思った。途中でデザイン画出してなんか描いてたけど。

パリ滞在の後悔が2つ。メトロの駅にある3分間写真で写真をとらなかったこと。どの駅にもあったのに。そう、これもアメリだけど。それとパリはひとりだったので夜遊びが出来なかったこと。さすがの私も、言葉のわかんない場所でひとりで深夜にクラブに行く勇気ないもんなあ。かっこいいクラブいっぱいあるだろうになって。ちょっと悔しい。でも欲張りすぎはいかんですからね。また行けばいいさ。だってフランスに親戚が出来たんだから。